皆さん、おはようございます!
『東岡崎 明月』の藤原です!
「天知る、地知る、子知る、我知る」
後漢の学者、楊震の言葉。
子供の頃、僕の家の今には少し大きめの缶があり、親父はそこに小銭を貯めいていました。
誰でも手が届く場所に。
今となっては恥ずかしながら、僕はその中の小銭をよく拝借していた。
はじめは十円を一枚。
慣れては百円。
次第に感覚が麻痺し、一枚が二枚、二枚が三枚にと・・・
いつかは当然発覚するわけで、あるとき親父に叱られる。
その時親父が言ったのがこの言葉でした。
「良いか修司!天知る、地知る、我ぞ知るって言ってな。お前がすることは天も地も、何よりもその手をお前自身が見ているんだぞ。」
天や地については解らないながらも、自分が見ているという言葉は衝撃でした。
確かに僕は分かってながら小銭をくすねていたのだから。
親父の凄かったのはその後、その間を隠さなかったこと。
全くその位置も形も隠すことはなかったこと。
お小遣いが枯渇し、今を通り過ぎるとその缶が目に入る。
どうしても手を出したい衝動。魔が差しかける。
するとその手を僕自身が観るのである。
子供ながらに、自分の中の敵を感じた瞬間でした。
面白いことに、僕はそれ以来その缶から小銭をくすねることはありませんでした。
やがてその缶も小銭も気にならなくなりました。
どんなに小遣いを使い果たして困っても、そこに手を出すことはしませんでした。
親父は原因を知っていたんですね。
原因は無防備な小銭の缶ではなく、僕の心の魔だということを。
つまり小銭の缶を隠さず、僕の中の魔を隠してしまった。
今でも時々この言葉を思い出します。
大抵、窮する時です。
そんな時は、我ぞ知りて何為さざるか。
自分を見つめて何をしないかを考えています。
でも、まだまだ半人前の僕は魔との戦いなんですけどね!
(?≧?≦)
ってなわけで、本日も張り切っているわけです!
(o^-‘)b
イェイ!