皆さん、こんにちは!
『東岡崎 明月』の藤原です!
今更ですが、母の日、終わりましたね~
僕の場合、7歳の誕生日の後くらいに両親が離婚して、僕は親父に育てられたので昔はあまり関係ない日でした。
むしろ母の日と世間が騒がしいことに煩わしさを感じていました。
二十歳のときに意を決して母に初めて会いました。
記憶の母と同じような違うような何だか変な感覚でした。
母は母とて実家の高知には帰らず、いつでも子供達の元へ駆けつけられるようにと、県内に住んでいたそうです。
僕がバイトしていたところは全部知っていました。
僕が働いている姿も遠くから見ていたそうです。
再会を果たしてからは毎年母の日にプレゼントを贈るようになりました。
ずっと出来なかった分、プレゼントできること自体が何だか嬉しかった。
年に一度くらいは会いに行くようにもなりました。
家内と付き合い始めた当初も会いに行き、結婚したときも、娘が生まれたときも報告に行きました。
そうは言っても13年間離れていた溝は簡単には埋まりません。
肝心なことは言えない、でも母親だという微妙な関係。
母親と会うことには理解を示していてくれた親父が死んでしまうと、僕の気持ちにはすこし変化が出てきました。
うまく母親との距離が取れなくなってしまった。
親父の葬儀のときも、初めて家内の両親に紹介は出来たものの、かなりそっけなくしてしまった。
親父がいないのに親しくするのは何かいけない事のように感じてしまう自分。
連絡も取る回数が減り、この二年は、母親からの電話もかなりそっけなかったように思う。
話はすこし飛ぶけれど、社員の麻奈美ちゃん。
彼女もお母さんとの距離が取れない子でした。
実のお母さんではあるけれど、色々あったみたいです。
かなりこじれてしまった関係性。
そんな麻奈美ちゃん。
今年は母の日にプレゼントを贈りたいと言い出しました。
貰ってもらえるのかが心配。
拒絶されはしないかと思案する日々。
でも自分なりに色々と考えてプレゼントを決めたそうです。
そんな麻奈美ちゃんを見ていて、僕も刺激を受けました。
今年も僕はプレゼントを贈るけれど、メッセージを伝えよう!
当日、サウナから出てくると母親からの着信がありました。
母の日のことなどすっかり忘れてしまっていたので、慌てて折り返しの電話。
なるべくぶっきら棒にはならないように、近況報告などしました。
そろそろ電話を切ろうとするとき、僕は意を決し母に告げました。
言おうと決めていたメッセージ。
「お母ちゃん、元気でいてください。」
「私はいたって元気だよ。ありがとう。」
少しだけ痞えが取れました。
気分も良くなり、家路に向かうと家内からの電話。
夕食に麻奈美ちゃんを誘ったので迎えに行ってとのこと。
麻奈美ちゃん、車に乗り込むなり、嬉しい報告。
「母の日のプレゼント、お母さんがありがとうって言ってくれました。」
麻奈美ちゃん泣いていました。
麻奈美ちゃん良くやりました!麻奈美ちゃんを巡る環境はどんどん良くなっています!
その後家内とみんなで嬉しさを共有し、僕はビールでヘベレケ!
翌日は家内のお母さんからもお礼のメッセージ!
それぞれに素敵な一日でした。
母の日、良いですね~!
そして今度は父の日!
義父さん、覚悟しといてちょ!
ヘ(゚∀゚*)ノ
ってなわけで、本日も張り切り切っております!
(o^-‘)b
イェイ!
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ますます名月ファンになりました。早く飲みに行きたーい。
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>日報コンサルタント麻井克幸さん
解禁日が楽しみですね!
これはイベントにしましょう!
僕も駆けつけます!