皆さん、こんにちは!
『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!
もう十年。
決まってこの日にはこんな感じに書き出してる。
6月6日。
昨日は幼馴染で親友の命日でした。
もう十年。
まだ十年。
彼はいまだに31歳のままだ。
これも毎年恒例で、僕は昨日の夕方、彼の母親に電話をした。
これも毎年恒例で、無言の時間がやたらと長い電話。
そして思い切って話を始めるタイミングはいつも同じで、譲り合いながら近況報告をする。
彼のお母さんは自分の老いについて。
僕の話題は他の幼馴染の近況と、娘の成長について。
「毎年忘れずに電話してきてくれてありがとう。」
彼の母親は言い、時々涙ぐむ。
「十年たってもやっぱり悲しいものは悲しいね。6月はどうしても気持ちが沈んじゃう」
僕は彼の母親に言う。
「彼はお母さんを悲しませるために生まれてきたんじゃない。だからお母さんは楽しんでください。それが一番彼が嬉しいことだと思います。」
これも毎年変わらないやり取り。
彼はこのやり取りを、どこかで聞いているだろうか。
十年。
ちょっとした時間の経過だ。
最後に電話口で彼の母親が言った。
「この電話、今月いっぱいで解約することにしたの。新しい番号はあとでメールするね。」
女手一つで、彼と妹を育てた逞しいはずのお母さんの声は今では年老いてか弱くなりながらも何か決断したようだった。
おそらくメールは来ない。
十年は、何かの区切りとしてはちょうどいい。
彼の母親は最後に言った。
「しゅうちゃん、元気で。」
僕も言う。
「お母さん、お互いに元気で。」
次の世も、また次の世も巡り逢え。染む紫の雲の上まで。
これは源頼経の辞世の句と言われている句です。
次の世があるならまた一緒にあいつと酒でも飲みたいといつも思っている。
とことん飲み明かし、訳の分からない芸術論を語りつくした。
またそんな時間が蘇るなら。
そんな夢想を時々している。
しかし、そして、僕はまた生きるために生者の時間に埋没する。
またいつか。